日本一のビジネス街とも言われる大手町・丸の内エリア。たくさんのビジネスパーソンが行き交い、日本ビジネスの発信地といえる地域です。周辺では現在も都市開発が続き、日々変わり続けています。なぜ大手町エリアが東京の中心になり、ここまで発展することができたのか、その片鱗を垣間見られる歴史的建造物からひもといていきましょう。
将門塚(将門の首塚)
大手町が伝説の舞台に初めて登場したのが、平将門にまつわる将門伝説です。平将門は平安時代に活躍した武将で、勢力拡大により新皇を名乗り朝敵となります。結局討ち取られ、将門の首は京都で3日間晒されました。3日目に将門の目が見開き、白い光を放ちながら舞い上がり、落ちた先が大手町だったと言われているのです。人々は恐れおののき、塚を立てて祀ったのが将門塚の由来です。大手町周辺の大規模開発が計画される度に、将門塚を撤去する計画が立てられるのですが、施工主や工事関係者が事故や病気に見舞われたことから、将門の祟りと今でも恐れられています。この将門塚だけは再開発に組み込まれず、ビルの合間にある都会のオアシスになっています。
住所:東京都千代田区大手町1-2-1
大手門
大手町という地名に関係しているのが「城」の存在です。「大手」は城の正面を意味し、大手門はまさに城の正面玄関を指します。大手町は大手門の前にある町だったことから名付けられたと言われています。東京・大手町でいう城とは江戸城のこと。現在は皇居がある場所に江戸城を築いたのは、徳川家康。1590(天正18)年に豊臣秀吉の命で江戸に入った徳川家康は1603(慶長8)年から築城を開始し、2代将軍・秀忠、3代将軍・家光と、3代にわたって3度築かれたとされています。大手門は、1607(慶長12)年に藤堂高虎によって1年3ヶ月かけて作られたものの、何度も焼失し、その度に再建されています。現在の門は、1967(昭和42)年に復元されたもの。大手門から入場できる皇居東御苑は無料で散策でき、今でも江戸幕府の威光を感じられるスポットです。
住所:東京都千代田区千代田1
三菱一号館
丸の内は、江戸城の堀で囲まれた内側という意味合いを持ち、このあたりには大名屋敷が立ち並んでいました。ところが、江戸時代が終わり、大名屋敷が取り払われた頃は、荒涼とした原野が広がり、誰も引き取り手のいない土地になってしまいます。当時の三菱財閥で創業者・岩崎弥太郎の弟・弥之助は、貧乏クジを引いたつもりで払い下げたとされています。この地に建てられたのが三菱一号館です。1894(明治27)年、開国間もない日本政府が招聘した英国人建築家ジョサイア・コンドルによって設計され、コンドルの愛弟子・曾禰達蔵が現場主任を務める丸の内建築所によって施工されました。この洋風建築物によって、丸の内がオフィス街に発展する歴史が作られたのです。老朽化のため、1968(昭和43)年に解体されたものの、2006(平成18)年の復元プロジェクトスタートによって、2009(平成21)年から製造方法や建築技術などまで忠実に再現し、再建されました。今では三菱第一号美術館として、当時の面影を楽しむことができます。
三菱第一号美術館
住所:東京都千代田区丸の内2-6-2
開館時間:10:00~18:00
※祝日・振替休日除く金曜、第2水曜、展覧会会期中の最終週平日は21:00まで
※入館は閉館時間の30分前まで
※臨時の時間変更の場合あり
休館日:毎週月曜(祝日・振替休日・展覧会会期中最終週の場合は開館)
年末、元旦、展示替え期間
※臨時の開館・休館の場合あり

オフィスビルに囲まれた都会のオアシス「将門塚」

忠実に再建された三菱一号館。ここから丸の内の歴史が始まった